スポーツ漫画を読んでいて感じますが、
あんまり鬼監督みたいなタイプの人がいないな、と。
スラムダンクのホワイトヘアードデビルだった頃の
安西先生とか、タッチ(←古い)に後半に出てくる
柏葉英二郎みたいな監督。
俺の言うことを聞いてれば間違い無い!的な。
(柏葉英二郎はちょっと目的が違いますが笑)
そんなに漫画を知り尽くしてませんし、
カラーバス効果でそのように
感じているだけかもしれませんが、
「指導者(監督)が絶対」みたいな構図は
現実に比べると少ないような気がします。
むしろ、指導者がほぼ素人だったりするケースとか。
ハイキュー、黒子のバスケ、弱虫ペダル、
スラムダンク(ホワイトヘアードブッダ時)、
DAYS、etc
そういう傾向があることを示すには数が少なすぎますが、
少なくともこれらの漫画には絶対的な指導はいません。
そうなる理由は簡単で、
”絶対的な指導者は邪魔”だからです。
スポーツを描くのであれば、
基本的に選手が主役になります。
その主役の成長ストーリーを見せたいのに、
絶対的な指導者がいると
主人公の成長を阻害してしまいます。
大抵、絶対的な指導者って
練習メニューを1から10まで決めたり、
戦略も全て決めてしまったりします。
短期的に見れば結果は早く出るのかもしれませんが、
それと引き換えに失うものがあります。
それは「主体性」です。
決められることに慣れてしまうと、
あるいは当たり前になってしまうと
自ら考えて行動を起こすことをしなくなります。
一番最悪なのは、
「言われたからこの練習をやってる」
みたいな状態です。
僕は高校の時に野球をやっていましたが、
監督に与えられた練習メニューを
ただこなしているだけの時期がありました。
今考えれば当たり前なんですが、
練習を重ねても全然上手くならず。
むしろ、監督が決めた練習メニューを
「その練習はいらないんじゃないか?」
ぐらいに思ってました。
かといって、
自分で考えて自主練をするわけでもなく。
それが、なんのタイミングだったか忘れたんですけど、
「上手くなるためにはどうしたらいいか?」
をめっちゃ考えたんですよね。
正確には、レギュラーではなかったので、
「レギュラーになる為にはどうしたらいいか?」
って考えてました。
その答えとして導き出したのが
守備力の向上だったので、
それからは守備練習にとにかく力を入れました。
練習メニューも自分で考えたり。
そしたら、上手くなるんですよね。
実感できるまでにだいぶ掛かりましたが、
ちゃんと結果に現れてきます。
しかも、不思議なことに
バッティングも良くなったんです。
守備練に時間を割いていたので、
どちらかというとバッティングの
練習時間は減っていたんですが、
バッティングも良くなりました。
というか、最後の夏の大会では
守備の見せ場はほとんどなくて、
むしろバッティングで結果を残しました。
運とか偶然みたいなものも
作用していると思いますが、
全ての起点となったのは、
”主体性を持てた”ことにあるように思います。
じゃあ、
「指導者はいない方がいいのか?」
っていうと、そんなことは決してありません。
指導者の存在は必要です。
重要なのは、指導者との関係性です。
”主体性ありき”でいい指導者と巡り会えると
爆発的に成長します。
桜木花道の合宿シュートがその典型例です。
(読んでない方、ごめんなさい笑)
花道が「シュートスキルが必要だ!」と
感じたから、ハードな練習に耐え、
短期間で難しいスキルを習得できたわけです。
あれが、入部当初の
「ダンクを決めたい」しか頭になかったら、
シュートスキルの習得どころか、
練習すら耐えられていません。
練習のきっかけは指導者である
安西先生が作っていますが、
練習の必要性を感じ、主体性を持って
練習したのは花道本人です。
実際、ビデオで撮影した自分の
シュートフォームを見ながら、
「もっとこうした方がいいんじゃないか」
って感じで上手くなる為に試行錯誤しています。
この姿勢こそが成長に繋がります。
なんでこの話をしようと思ったのか
忘れましたが(漫画を読んだから?笑)、
成長スピードを早めようと思ったら
必要不可欠なマインドなので題材にしました。
漫画って上手くいくための秘訣が
めちゃくちゃ詰まってますね!
暗殺教室とかジャイアントキリングは
指導者(先生、監督)の存在が大きな漫画ですが、
(というかむしろ主役的立ち位置ですが)
生徒や選手が主体性を持つように立ち回ってますね。
指導者の教材だと思って読んでます。
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