昨日、情熱大陸を見逃したので、
(毎週欠かさず見てるわけでもないですが)
GYAO! で見たんですが、
かなりオモシロい方が出てました。
歴史学者・磯田道史さんという方だったんですが、
小学生より無邪気な大人という印象で、
何でも気になるし、気になったものは
その場ですぐ調べていて
好奇心・探究心がとにかく半端ない。
「知る」という欲求の塊みたいな方でした。
そのレベルが常軌を逸していたので、
それだけでもかなりユニークな方だったんですが、
それ以上に共感できるところがあって、
(というかこのあり方は好きだなと思った)
”ただ自分が知れればいい”とは思っていない
部分がかなり共感できました。
『歴史学とは』と言われたら、
過去を人々に認識してもらうこと。その方法は、本や活字だけである必要はない。
テレビであろうが、映画であろうが、
何であろうが直接的、間接的な手段で
関わるものであれば何でもやる。学者が書いた歴史学は正しい歴史認識かも
しれないけど、一般の人の歴史意識に
どれくらい影響力があるのか、
一生知らずに終わるような状態がずっと続いていて
その代替作用として司馬遼太郎さんを使っていた。この問題を直視したい。
このように発言されていたのですが、
その根底ある考え方というのが、
歴史には今を生きる人の悩みを解決する
ヒントが詰まっている。それを伝えるのが自分の使命だ。
というものでした。
磯田さんは著書の中でも、
歴史とは、
過去と現在のキャッチボールである。歴史とは、今を生きる我々が
自分の問題を過去に投げかけ、
過去が投げ返してくれる反射球を
受け止める対話の連続。歴史は決まった史実を覚える
『暗記物』ではないのだ。
このように書かれていて、
現在の活かされてこそ意味がある学問、
という哲学を感じました。
それで実際に影響を与えることができているから
磯田先生は好きな歴史を探求し続けられて
いるのだと思います。
自分の探究心を掘り下げて
後から役に立つ情報に変換するのか、
役に立つことを前提に興味を探求していくのか、
順序はどちらでも構わないと思っているんですが、
「(誰かの)役に立とう」という感覚を持っている人は
上手くいっているように感じますし、
また、自分もそう在りたいと思います。
追伸、
磯田先生から伝わって来る歴史は、
単に「事実」を追っているものではなく、
そこにある「人の感情や振る舞い」が
伝わってきて、歴史のオモシロさを垣間見ました。
「ただ暗記する」ということに
何のオモシロさも感じられなかったせいか、
歴史は超嫌いでしたが、
今ここにきて興味が出てきました。
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