連日のコミットの話をしていますが、
要は目標を立てましょうって話です。
ただ、「目標を立てましょう」ではなく、
「コミットをしましょう」としているのは、
宣言をして自ら認識をしてほしかったからです。
これは僕の感覚だけかもしれませんが、
コミットの方が「目指す」ってニュアンスが
あるように感じています。
「目標を立てる」はまだその場にいて、
「コミットする」は一歩踏み出して(出そうとして)る感じです。
ほんと感覚的なものですよ。
で、
何でもいいからって言うと言い過ぎですが、
何かしら目指して下さい。
たぶん、このメルマガを読んでいるということは
BUYMAに取り組まれていると思うので
仮に目標がなくても
全く何もしてないってことはないと思います。
行動ができていれば目標がなくても
特に問題はなさそうなんですが、
コミットすることで明確になるものがあります。
それは「課題」です。
ただ行動をしているだけなのと、
目標に向けて行動するのとでは
「課題」の有無という点で異なります。
ただ行動しているだけであれば
目指すところがないため
障壁となる「課題」が存在しません。
障壁が出てきてもどの方向に舵を切るかは
自由なので、障壁は回避できてしまいます。
一方で、目指すところがあると
自分の都合で方向を変えられないので、
必ず超えなければならない障壁が出てきます。
この障壁は目標があるから存在するものです。
目指すものがなければ障壁は現れません。
「5キロダイエットしよう!」という目標があるから、
「甘いものを控える」という課題が出てくるわけで、
痩せる目標とか一切なければ、
「甘いものを控える」という課題はしません。
つまり見方を変えると、
コミットする(目標を定める)というのは、
「課題」を出すための行為だとも解釈できます。
コミットをすると目の前に課題が現れて、
「うっ」となります。
精神的には不安定な状況です。
社会心理学では”認知不協和”といいますが、
人はこの状態になると回避したくなります。
この場合に認知不協和の状態から
解放されようと思うと取れる選択は2つです。
「目指すのをやめて課題をなくす」か、
「課題をクリアする」のどちらかです。
当然、後者を選択しましょうって話なんですが、
そもそも目指すところがあれば
課題が現れるのは当然のことなので、
課題に対して「うっ」ってなってる場合ではありません。
さっきも言いましたが、
課題を顕在化させる為にコミットをするわけです。
そして、課題を乗り超える課題で成長し、
目標に近づくことができます。
ですので、課題が現れなかったら
目標として意味を為していません。
ですので、ちゃんと課題が現れる
目標設定をして下さいね!
最後までお読み頂きありがとうございました!
追伸、
っていいながらも、課題に直面すると
「うっ」ってなりますよね。笑
僕はその状態を回避し続けてきて
もうこれ以上回避してる場合じゃないので、
ちゃんと課題に真正面から向き合おうと思います。
コメントを残す