昨日、参加した講座でけちょんけちょんに
言われたって話をしましたが、
今日もになっても頭の中で再生されて
「くそっ」って感じになってます。笑
実にいい感じです。
昨日もいいましたが、
僕にとって「悔しい」という感情は
原動力になっていることが多いです。
誤解を招くかもしれませんが、
「この人にできて、自分にできないはずがない」
って思ったところから
悔しくて奮起した経験は多々あります。
”この人”に対してほんと失礼だとは思いますが。
こういう感情になるときは、
「この人はやるべきことをやったから
この結果を手にできているわけで、
自分はその結果に見合うだけのことができていない」
と、解釈しています。
そもそも「悔しい」って感情は
自分のプロセスが不十分だったことを
自分で自覚しているから出てくるものです。
自分が力の限り精一杯やっていれば、
結果が出ようが出まいが
「あれだけやって結果が出ないなら仕方ない」
って清々しい気持ちだと思います。
「もっとできたんじゃないのか」
自分に対して思っているから
その過去の自分の行動に対して
悔しいと感じるわけです。
で、「悔しい」という感情は
とても強い原動力になり得るんですが、
結果に結びつく人と結びつかない人を
決定的に分断する”違い”があります。
それは、”悔しさを感じている期間”です。
良くも悪くも人は忘れる生き物です。
悔しいという感情も時が経てば忘れます。
僕は高校野球をやっていたんですが、
よく思ったことがありました。
━━━━━━━━━━━━━━━
夏の大会で負けた日の悔しさの感覚が
チーム全体で365日変わらなかったら
甲子園に行けるんじゃないか?
━━━━━━━━━━━━━━━
夏の大会で負けると
人目を憚らず泣いてしまうほど悔しいわけです。
2年生の立場だと、
まだあと1回夏の大会があるので
この悔しさをバネに
「来年こそは絶対やってやる」
「毎日めちゃくちゃ練習する」
って心に誓っているはずです。
熱闘甲子園とか、甲子園(予選含む)関連の
特番をとかを見ていると、
3年生と後輩たちが、
「お前ら、頑張れよ!」
「絶対やります!!!!!」
みたいないやりとりが必ずと言っていいほど
行われていますが、まさにあんな感じです。
でも、
数日経つとどこ吹く風でケロッとしています。
1ヶ月もしたら、夏の大会で負けたことすら
思い出さなくなります。
そうなると当然、
「絶対に毎日めっちゃ練習して甲子園に行くんだ!」
みたいな感覚では練習しなくなります。
で、また次の年に立場は違えど同じことを繰り返します。
さっきも言いましたが、
人間が忘れるのはごくごく自然のことです。
忘れる能力がなければ、
とんでもない感情が渦巻いて
生きていられないと思います。
ですので、「忘れない」ことは不可能です。
大事なのは「思い出させる」ことです。
徳川家康が武田信玄の軍に敗れて
敗退した時に馬上で脱糞をしてしまい、
その様子を絵に描いたというのは
かなり有名な話ですが、
これも忘れないための工夫と言えます。
(本当にところは知る由も無いですが)
普通であれば、絶対に絵におさめることなんて
しない状態なのにそれをわざわざ絵にしたというのは、
徳川家康は人間は忘れてしまうということを
深く理解してからだと思います。
忘れないことよりも、
思い出さざるを得ない工夫が
「悔しさ」からくる原動力を最大限に
使うためのポイントです。
ということで、
iPhoneの待ち受け画面に
工夫を入れました。
コメントを残す