昨日は、背景次第で見え方が別物になるって話をしましたが、
特別なことではなく普段から自然と起こっていることです。
映画にしても原作を知らずに観るのと
原作を知ってから観るのとでは見え方が変わりますし、
メイキングを見たりしても変わります。
遅刻した人がいて、
ただ遅刻したという事実だけで受ける印象と
遅刻した事情を聞いた上での印象とでは異なります。
事情を聞いて許せるかもしれませんし、
逆に怒りがこみ上げてくる場合もあるかもしれません。笑
常に、「一側面しか見ていない」可能性を
考慮しつつ物事を見る癖を持った方がいいですね。
同じものを見ていても
自分と自分以外の人で見え方が違っている
という認識にもなりますし、より多面的に
物事をみる意識にも繋がっていくと思います。
で、今日は、
動画のメインテーマになっていた
「自主性か、強制か」という話に
切り込んでいこうと思うのですが、
結論から言うと、
「一概にはどっちがいいとは言えない」
というのが僕個人の考えです。
まず、僕が今感じている
理想を言えば「自主性」です。
自ら選択肢を考え、自ら選択する力は
個の力が重要になってくる今の時代に必要ですし、
「自分の人生を生きる」という自立した生き方を
目指すのであれば、自主性がなければ成り立ちません。
「強制されて自立した生き方を歩む」
って矛盾してますからね。笑
ですので、「自主性」は必要だと思っています。
ただ、自主性を意識しすぎるばっかりに
強制力が全く働かず、何も行動できないというのでは
現実は変わりません。
ある程度の強制力があるから
行動ができるという面もありますし、
行動している中で分かってくることもあります。
なので、ある程度の強制力を使った方が
上手く歩みを進められるケースもあります。
そして、ゆくゆくは強制されないとできなかったことが
自主的にできるようになっていくかもしれません。
つまり、人それぞれ状況も違えば実力も違いますし、
同じ人でもタイミングによっても変わってくるので
どのように教育するのが適切か一概には言えない、
というのが”今の”僕の感想です。
あえて”今の”と付けたのは
また時間が経って背景が変われば
考えも変わるかもしれないからです。
(それは日々のメルマガに当てはまりますが)
もしかしたら、
筑紫の生徒に自主性を重んじた指導をしたり、
東福岡の生徒にスパルタ教育をした方が
強くなるって可能性も否定できません。
それぞれに監督がたどり着いた教育方針なので
それぞれの高校にフィットしているんだとは思いますが。
いずれにしても、
「どっちが正しい」とか、
「どっちが優れている」なんてことは
簡単には判断できないですね。
最後までお読み頂きありがとうございました!
追伸、
強制力はある程度必要なこともあると言いましたが、
相手の課題に介入しすぎて
自立しようとする気持ちまで削いでしまうような
強制力は行き過ぎです。
あくまでも、自立心を育むことを
見据えた強制力が適切なバランスですね。
「適切な」とか言いながら
それが簡単ではないわけですが。
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